やりたいこと探しは「身体」に聞けばいい【自分探し17年分の結論】(※乱文)

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わたくし、お恥ずかしいことに、37にして、ようやく自分のやりたいことがわかりました。

超絶氷河期の大学時代の就活からはじまり紆余曲折を経て。

つい先日、ようやく「これだ」と腑に落ちました。紆余曲折、17年かかりました。

スティーブ・ジョブスのスピーチではないですけど、

今日、ふと「明日死ぬとしたら、今やりたいことは何か?」と頭に思い浮かんで。

そうしたら「今すぐこれを書いて、インターネットに上げないと」と。

なぜでしょう、理由はわからないのですが。なぜでしょう、完全に使命感。

なので、あの頃の私に伝えたいことをまとめました。

「やりたいことがわからない」と、自分を探し続ける誰かのお役に立ちますように。

まず結論:答えは内側にしかないから、身体をゆるめて、感情の詰まりをとりなさい!

私が、やりたいことがわからなかったのは

  • 身体の声が聞こえなかったから
  • 聞こえなくなっていたから
  • 聞こえていない事に気がついていなかったから

私、はじめて「身体の声」という言葉を聞いた時、「身体の声って何?」と思いました。

「暑いとか寒いとかは、わかるけど?」と。

なんとなくいいかな、とか、今流れがきてる!とか

直感インスピレーション等は、結構拾うし、合ってることが多いのですが

我慢している自覚なく、「当たり前のこと」として我慢しつづけて生きてきたため

何が自分のとって正解なのか、さっぱりわからなくなってたのです。

身体の声がわからないと、「自分のとっての正解」を

選び出せないんです。

「なんとなく、こっち!」という大筋は合っていたのに

細かいところで的を絞れませんでした。

「じゃあ、私はどうしたいの?」を、特定できなかったのは

自分だけの「正解サイン」がわからなかったからで

それこそが「身体の声」。

頭でなんとかしようと、やりたいことがわからない原因を色々考えて

「たくさん経験すれば、いずれわかるだろう!」と思っていたのですが

経験すればするほど、集まってくるのは「これじゃない」という不正解データばかり。

誰それが良いと言っていたから。

この本に書いてあったから。

やってみようか、と思って、やってみても、なんだかうまくいかない。

何か違和感は感じるものの、ある程度までは結果が出る、でも、突き抜けられない。

そんなことを繰り返してきました。

正解は、外側にはなかったんですね。

そして、特定できなかっただけで、私はそれを既に知っていた。

「決め手」がわかってなかった。

ただそれだけ。

だから、もし、同じことで悩んでいる人がいるなら、

声を大にして言ってあげたい。

「あなたには、あなたの身体の声は聞こえていますか?」

身体の声を聞くために、やって効果を感じたこと

身体の声が聞こえるようになって、世界が一変しました。

自分がいかに自分を痛めつけてきたのか。自分に申し訳なくなりました。

身体の声を聞くために効果的だったこと

  • (a)経絡ストレッチ
  • (b)冷えとり(半身浴&下半身温める)
  • (c)塩浴(表面にこぶりついた他人の想念を洗い流す)
  • (d)糖質制限(正確には、精製糖を避ける。極力、食品添加物も)
  • (e)ホ・オポノポノ(潜在意識クリーニング)

感覚的な話ですが

心(エネルギー体)の詰まりと、身体のコリは連動しているようで

感情が抜けていくと、コリがとれたり。

逆に、イラッとすると、心も身体もギュッと縮みますよね。

物理的に凝り固まった身体をストレッチで緩めつつ、めぐりを良くして(a)(b)

外からの影響を減らして&流して(c)(d)。

心のゴミを手放していく(e)。

どんどん内側に集中していくので、結構しんどいといえばしんどいのですが。

こういう組み合わせが私には良かったです。

外に答えを求めているうちは、

根本解決に至らない、

答えば自分の中にしかない、自力でなんとかしようと

色々試した中、

効果を感じたのが上記5つでした。

周りの影響受けやすいので、徹底しないと、自分に戻れませんでした。

最近は、やっと戻れたかな、と感じているし

人から影響を受けているときは「受けている」と気がつけるようになりつつある気がします。

身体の声を聞いていく過程で起きた変化など

上記5つ以外にも、

いろんな動きはありまして。

コンクリートジャングルから、

田舎の自然の中(実家)に引っ越しをしていたり

冷えとりの一環として

ひたすら半身浴をしていた時期があったり

肌断食をしたら、みるみる肌が元気になったので

対象範囲を全身に広げ、

肌感覚が鋭くなっていく中で(きっと微生物が育っているのですw)

石油由来の化学繊維が息苦しくなって

シルクまみれで生活していたり。

(外部の刺激から、繭に守ってもらっている感覚)

ストレッチ中に出てくる感情と向き合ったり

(今は、出てきた感情は、ホ・オポノポノしてます)

冷えとりのいわゆる「心の毒出し」で

心にため込んでいたものが爆発して

人にひどい当たり方をしてしまったり

(本当に申し訳ない、ごめんなさい)

まあ、なんというか。

脱皮ですよね。

身体に、もう同じ傷は受けたくない、と頑なに

バリアとしてため込んでいた感情を、

「もう、これ、いらなくない? なんなら、逆効果だし」と

どんどん、手放して。

3年前の怒りが出てきたり。

2〜3歳の頃から自分に無理させていたことをやめれたり。

どれだけ、自分自身に対して鈍感だったか。

自分にとっての「気持ちいい」「気持ちよくない」を

ちゃんと聞いてあげていたら(着るもの・食べるものなど)

身体は、私にどんどん色んなものを要求(?)してくるようになって

自然と、自分にとっての「気持ちいい」から、

はみ出ることもなくなって。

私の「ありたい状態」「やりたいこと」

これだ、と、選びとれるようになっていました。

関わり方をちょっと変える、

やることを少しだけずらす、

ほんのちょっとしたことで

「そうそう、これこれ」という

快適な状態になるのが、とても不思議です。

普通の人には、当たり前のことなんでしょうけど。

こういう微調整するセンサー=身体の声が

全然聞こえなくなっていたんですよね。

2〜3歳からなので、人生のほぼ全てが

ずーっと無理をして生きているのが当たり前だったので

ああ、私も無理をしないで生きてもいいんだな、と

できないことは出来ないでいいんだな、と。

自分に許すことができて

とても楽になりました。

身体も思考も心も(きっと魂も)

全ての私が「OK」「GO」と言っている

なんの抵抗もない、という状態を

状況の変化に合わせて、保っていけば

(微調整していけば)

越えられなかった壁なんて

登場すらしないで、うまくいくんだろうな、と

漠然と感じている現在です。

「そんなの、結果出てから言え!」という主張も(これは思考ですね)

あるんですけどね。

正直、もう、うまくいかない理由がよくわからない、と感じており。

(うまくいかないとすれば、ちゃんと身体の声を聞けてないから)

今書きたいから、書いて、

インターネット上に、上げておきます。

どうしても今書かないと気がすまないのは、

きっと、何か、私の知らない意味があるからだと思うので。

一方で、人生のタイミングもあると思う。私特有の理由

こんなこと言っては元も子もないのですが、

やりたいことを特定できるタイミングは、予めある程度決まっているのではないかと思われます。

きっと、私の場合、「失敗しつづける経験」をしたかったのだと思うのです。

世間一般的には失敗しているけど、私の魂的には大成功なんです、たぶん。

なぜならば。

  • (占い目線)空亡での引っ越し(実家からの独立)をやり直したこと
  • (占い目線)変剋律大運が終わったこと

占い目線で見ると、そりゃ当然変わるわ、という因果。

でも、知っていてやったわけではなくて。引越ししたあとに「あの時は空亡だったんだ!」と気付き。

あ、だからここ数年の破壊作用すごかったんだ!と気付き。

深く論じれる知識はありませんが。

算命学って結構合ってるな、と思いました。

人生のタイミングは、ある程度決まっているのだな、と。

でも、そうやって考えると、頭が凝り固まってしまって、辛くなるので

未来は読まないことにしています。

知らなくていいことは、知らないほうが、私は幸せだから。

今が、常に最善になるように、占いではなく「目の前」に集中して生きたほうが、私は幸せだから。

操作ではなくて、自然に生きたいから。

もう、そっちには行かない。

・・・書いていて、こんなに文章がまとまらないことも珍しく。

まだ自分の中で咀嚼しきれていないのでしょうね。

自分の書いている文章なのに、読み返すと

何を言いたいのか、よくわからなくなっており・・・・

本当、乱文ですいません。

要は。

やりたいことが見つからない、と言っている人は

やりたいことを特定するセンサー(身体の声)が鈍ってませんか?と。

目の前にあるのに、見えなくなっている。

「心の声を聞け」とか言われても、

本当に聞こえなくなっている人は、どれが心の声なのかすら、わからなくなるんですよ(実体験)。

思考が強すぎて、心をがんじがらめにしていましたから。

「あれ、この生き方じゃダメだ」と気がついたのが2011年なので、

身体の声が聞こえるようになるまで、7年かかってますね。

おつかれさま、私。

当時の私みたいな人や、もっと昔の、私みたいな人には

「心の声をきけ」では伝わらないから。

「ストレッチしろ」「身体をほぐせ」「感情をコントロールしようとするな」のほうが良い。

言っても、言うこと聞かないんですけどね。

それでも、知らないより、いい。

私のやりたいことについて、ほとんど触れずにここまで来ましたが、

私は、それこそ、15〜17年くらい前に、ぼんやりと思い描いていた形に戻りました。

大体合ってて、細部には若干の修正を加えましたけど。

人生の途中で、傷だらけになって、「これはもうやめよう」と思ったことを

一部撤回(やめるをやめた)し、一部は変更しました。

結局、それが正解なんですよね。

完全にビタビタなものなんて外にはなくて

調整していくしかない。それで合ってる。

まだ現実での具現化は完了していないけれど

きっと、必要なピースは、揃ってくるのだと思います。

私が自覚できたので、始まりつつあるし。多分。

「戻れたこと」「修正を加えられたこと」この2点は

今の私の「やりたい」「やりたくない」の反映。

自分自身の心、身体の声に対して「ぶれてはいけない」=「自分に嘘をついてはいけない」であって

自己認識を間違えてたり、変わることもあるから

目指す形は、変わってもいいのかなと。

正解を内側に置くことにしました。

私には、経済的な合理性より、私が楽しく生きれることのほうが大事。

私に必要だったのは、

「金持ち父さん」ではなくて「ホ・オポノポノ」だったみたいです。

思っていること、感じていることを、人に話するのがここ数年とても抵抗あったのですが

それも、すっかり無くなってきて。喜ばしい限り。

私の器にすっぽり収まる、私らしい新しい私に戻ります。

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